福沢諭吉
福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、1835年1月10日(天保5年12月12日(旧暦)(12月12日)) - 1901年(明治34年2月3日)は、明治期の思想家、東京学士会院初代院長、慶應義塾大学(慶應義塾)創設者である。
経歴
大坂堂島にある豊前国中津藩蔵屋敷で下級武士の子として生まれる。1歳6ヶ月のとき父の死去により帰藩し中津(大分県)で過ごす。蘭学を志し19歳のとき長崎に遊学、翌年から大坂へ出て緒方洪庵の適塾で学び、のちに塾長となる。1858年、築地で蘭学塾を開き、遣外使節団などへの参加経験を通じて、日本に洋学の普及が必要であることを痛感。帰国後「西洋事情」などの著書を通じて啓蒙活動を開始。一時は幕臣として幕府機構の改革を唱えたが、1868年(慶応4年)には蘭学塾を慶應義塾と名付け、教育活動に専念する。維新後も洋学の普及を主唱、国会開設運動が全国に広がると、一定の距離を置きながら、英国流憲法論を唱えた。1881年(明治14年)の政変で政府要人と絶交、1882年(明治15年)には日刊新聞「時事新報」を創刊し、不偏不党の理念のもと、世論を先導した。1898年(明治31年)脳出血で倒れ、一端回復したものの、1901年(明治34年)に再発し死去した。戒名は「大観院独立自尊居士」。「独立自尊」:心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位をはずかし辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ一万円札の肖像画としても有名。一万円札を「福澤諭吉」または単に「諭吉」と言うことがある。このことから派生して、1万円札の枚数を言う時に1人、2人などのように人数を数えるように言うことがある。さらには会計学の基礎となる複式簿記を日本に照会した人物でもある。借方貸方という語は福沢の訳によるもの。
主な著書
* 西洋事情
* 学問のすすめ
* 日々のをしへ
* 文明論之概略
* 通俗民権論
* 通俗国権論
* 民情一新
* 福翁自伝
* 痩我慢の説
* 丁丑公論
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情報元:Wikipedia


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